勝手に受信
http://h.hatena.ne.jp/matsuiism/299902363276151875
そう、そうなのよね
だからわたしの小説ではそういう形で女は絶対に殺さないよ、死なせない、というか
洋の東西に限らず、女性「殺して」おしまいにするオトコどもの下衆さというか短絡というか頭の悪さ(わー言っちゃったw)、もとい脆弱さにはいいかげんもう辟易してるのさ
とはいえ、ひと死ぬと綺麗に終わるのよ、小説かくひとは実感としてわかるとおもうけど
そしてまた「死」というのがある意味では「救済」として作用してしまうのだな、その場合
オトコどもにとってだけでなく、オンナ自身にとっても
ゲンジツ社会という苦境を脱するための仕掛け、というか
女三界に家なし、は今でも立派に成立してると思う
ていうか
家、よね、家
モンダイは
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~女性表象について、なのか?~
ぼんやりと。宣誓。
20世紀文学の大きなテーマのひとつは《コキュ文学》、または「浮気された・されるかも・されつつある・されてるの? と懊悩するオトコの物語」であったと考える。私見というだけではなく、鹿島茂先生もなにかにそんなことを書いていたので間違いないであろう(出典わすれたです)。
妻や恋人たる女たちは黙して語らず、または謎めいて微笑むのみ。否、告白したり、しなかったり。でもまあ、彼女たちの言葉はあくまでも「客体」の言語。真偽のほどは不明。それゆえに、美しい。とも言える。
19世紀文学において、浮気した女は死ぬしかなかったわけだが(かの麗しきファム・ファタールたちの運命を見よ!)、
21世紀文学ともなれば、のうのうと生き延びて自らの体験を語る方式になるものと、
わたしは、
思っている。
http://h.hatena.ne.jp/florentine/9234075047902724668
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「どんな共同体にしろ、外側の空間の彼方から、大気圏の彼方から、生誕の上流で放たれる徴としての社会的認知を求めている。つまり帰属の徴を求めているのだ。熊、雲雀、女、同性愛者、病人、乞食、放浪者、音楽家、画家、作家、聖人たちは、政治権力に通報したりしない。」パスカル・キニャール
florentine(磯崎愛)のことを語る
