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florentine(磯崎愛)のことを語る

今日お茶の講習会にいって個人的になにがツボったかというと、ああ、お茶も「再生」なんだなあということ 
伝統、というのは常にそういうことでもあるので当然だけど
おんなじこといつまでも続けるってことじゃなくて、あくまで「再生」
それから、
今まで(近年)のお茶になにが足らなかったかというと「史料」を読むこと、ておっしゃってて
それもツボった
そうだよねえ
それは、先達の生を引き受けて自分のものにすること、みたいなおはなしだった 
「知識」をじぶんの身体で受け止めて生かす、みたいなこと

お茶って、前もかいたけど、転んでもナニしてもお客様に美味しいお茶をのんでもらえばOKってことなわけだけど(なにせ「茶事」という、茶事、まんまやん! みたいな気がしておかしかった、初めて聞いたとき)、じっさい転んだりしたらやっぱりあんまりよろしくないわけで、ナニがどうしていけないかというと、お客様が亭主が怪我したんじゃないかと心配したりせっかくきれいにしてた場所をまた掃除しなきゃいけなかったり、「楽しい」とか「嬉しい」とか「美味しい」とは反することになっちゃうからなんだとおもう 
いくらお道具もよくてお料理も美味しくても延々ひとの悪口とか聞かされたら嫌な気分だし美味しくないじゃん? ていう、至極単純なこと、をお茶でなんていうかイイ記事があればと検索したらぶりさんのが出てきたよv
 
「我が仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」
http://d.hatena.ne.jp/burie/20090101/1230802438

それで、御点前は「手段」とのこと
それって「教養」と似てるよなあ、と
ちゃんと身に着けた御点前があるから、いろんなことが理解できたり応用できたりする
 
「考える」のは難しいことだけど、考えるための手段をすでにからだでおぼえてると、やりやすい
だから型からはいる
型ってのは、真似るまねび学び、だから
 
お茶では眼に見えるものの完成はわりあい早かった  
そのあと、いまも続いている 
今日しばらくぶりに見て(去年の夏以来くらい?)、御点前の合理性とか凄いキタ あれってなんであんなこといちいちするのって訊かれたこと実はあって、あれはすごくよく出来てるんだよって説明したことあるけど今日、前よりもなんか「みえた」んだよ)
週一で習ってころより、ちょっと離れてみたほうが、なんだかワカッタ気がした
それが今日、衝撃のひとつ、だった
 
「わからなくていい、そのときは」
てことが、ああいうお稽古事は常にある(人生と似てる、そういうとこ ていうかお茶って総合藝術とよくいわれるけど別のことばでいうとたぶん、人間修養とかそのてのことなんだよね、つまり「教養」とやっぱり同じなんだよな、そういうとこ もちろんそう思ってけど、そう思ってお茶ならってきたわけだけど、なんか今日、あ、前よりよくワカッタ! て感じがしたのだ、どうしてか 気合いの入り具合か時間が経過したということか)

わたしはスぺオペで茶室搭載宇宙船モノを書いている(書き終わってないw) 
御点前は変わらないだろうと思いながら書いて、それで合ってたと思う(ていうか、変わらないための設定をつくってあるんですけどね)
 
今日おもしろかったのがもうひとつ、「先生」じゃなくて「師匠」だということ
そうだよね、師匠だよね
わたし、そういうのが好き、なんだなあとしみじみと
まあこのへんは、「花うさぎ」&「花うさぎ無計画発電所」でw
て、
なにがいいたかったのかよくわかりませんが、
まあとにかく
いま先生のご事情でお茶のお稽古ないわけですが、とにかくわたし、お茶はやめない 続ける
もちろん続けると思ってきてるけど、もっと強く、続ける、ておもった 死ぬまでヤル うん
そうおもったのだな、うん