勝手に反応
どんなことに対してでも、わたしは、明らかにじぶんより「強いもの」「大きいもの」に対して「抵抗」「対抗」したい
じゃないとカッコ悪いじゃん(←こんなもんですよw 大きな思想とかそんなんじゃなくて、こんな程度のことですよ、でもそれでいいとおもう 「詩とは懐疑である、イデオロギーとは懐疑の欠落である」ダニロ・キシュhttp://h.hatena.ne.jp/florentine/9234099589353630948)
反骨とか気骨のあるひととか大好き、わたしちょーよわっちいからこそ、そういうのが、そういうひとがすき
わたしはよわいけど物凄くマッチョなの でもだからこそ、それを向ける相手はじぶんより「強いもの」じゃないとおかしなことになる そのていどの弁えはある
でもって、そうした「態度」をどこで学んできたのかは、やはり「書物」であったとおもう
馬鹿なことを言うようだけど、三銃士だって(つっこみどころはあるけれど)あれは悪い「権力者」に立ち向かうからカッコイイのだ ルパン(るぶらんのほうだよ!)だって「義賊」だから素敵なのだ もしトムが弱者に罪をなすりつけたインジャンを恐怖をのりこえて告発しなかったら、ハックがあそこで自身の保身をおもってジムを見捨てたら、あのはなしはこうもみなに愛されなかっただろう(ここはかんたんに言いすぎてるけどでもかんたんに言ってしまいたい気持ちがあるのでこう書いておく)
されどこの世に不正義や不人情、差別や争いごとは溢れつづける
「弱さ」がそれを助長することもあるのは知っての通りだ
真のヒーローはいない
いようはずもない
誰もがヒーローには生まれつかないのだから、あたりまえだ
http://ainokarakuri.blog42.fc2.com/blog-category-22.html
それでもわたしは、ラファティの『トマス・モアの大冒険 パスト・マスター』のラスト一行を記さずにはいられない
「静かに。希望を持って。」
「小説」はとくに、負け続ける運命があるといっていいくらいのモノだから 死に絶えなければいいというか、華々しさとは無縁でいいからとにかくしぶとく根絶されないってことを目指すべきだとおもうの
たとえ未来を予知予見予測するものを書こうとも、小説というジャンルはどうしてか、あとから、なのだ それはモノを書くという営みのもつ宿命だとおもう 書くという行為はそのさいちゅうには為されない 振り返ること、そして過去形であること、そしてそれが読まれるときというのは、やはり書かれた時より必ず「未来」なのだ 「来たるべき書物」そして「書物の不在」 そしてそういう不条理というか運命にさえ抗うのが小説家で、小説という存在の孕む宿命だとおもう
「わたしはおとなにはならなかった。ただ、みっともなく年をとっただけだ。」
と記すラファティが、
『宇宙舟歌』でヒーローを帰還させなかったのは至極まっとうなことだとおもう
そういうふうにしてしか、この世に「抵抗」できない書き方、というのがあるのだ
わたしはそれを知っている
