たしかに、70年代はアレルギーて言葉を説明してすんなり理解するひとはすくなかった
花粉症もまだみんな知らなかった
わたしは幼稚園のときにはアレルギー検査というのを受けた 調べたすべてのモノに反応してたため医者に「標本にしたい」と言われたのがぷちトラウマって医者嫌いになった
それで小学校高学年から花粉症とハウスダストについては注射を打って「体質改善」した
はじめは毎日うった おかげでわたしはチョットくらい「痛い」注射でも全然びびらない ちょー余裕w
10歳ちょっと過ぎたくらいの子がまいにち自転車で学校帰り雨が降ろうと何があろうとひとりで病院いきイタい注射打たれて帰ってくるのである 我ながら思い出すとけっこうかわいそうな気がするがそういうふうに生まれついてしまったのでしょうがない 大人になると少しはマシになるという慰めはたしかにあったが、今のように誰もかれもが花粉症ではないセカイでわたしひとりがそうであった その孤独と周囲の奇異の眼はなににたとえるべきかわからない
おもえばいつでも流行りものには真っ先に罹るほうであった おたふくだか水疱瘡だかもいちばんに罹患し職員室で「みんなが修学旅行に行けなくなったらおまえのせいだ」と先生たちに言われてガックリしたことを思い出す センセイと呼ばれオトナという名をしたものたちの粗暴さにわらった クラスメイトたちのほうがどれほど気を遣ってくれたことか とはいえこどもはこどもでまた残酷であった よわいものはよわいというだけで、ひとと違うことはそれだけで「穢れ」であり「悪」なのだ
爾来わたしはパンデミックで世界が滅ぶときに最初の罹患者としてひっそり死ぬか、耐え忍び生き抜いて人類の救世主になるか、どちらかの道しかないと想像するに至るw
ということをつらっとすぐさま書いちゃう程度にはからだよわいって小説かくのに向いてる資質だとおもうわー
florentine(磯崎愛)のことを語る
