id:florentine
florentine(磯崎愛)のことを語る

http://h.hatena.ne.jp/florentine/225877849389949750
しかし、ここでいう

>誰に読んでもらいたいのか、という問いはわりとはっきりしていて、
>古典と世界文学を愛し、国書刊行会の「未来の文学」や河出書房の「奇想コレクション」あたりをチェックしてるひと、です。

というのは実は、たんなる「モデル読者(エーコ先生のいうところのそれ、ね http://www.seidosha.co.jp/index.php?%CA%AA%B8%EC%A4%CB%A4%AA%A4%B1%A4%EB%C6%C9%BC%D4%A1%A1)」であって(これのほうがわかりやすいかな http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/sawa/nrt2/4_1.html
本当に読んでもらいたいひとでは、きっとナイ(あ、そういうちゃぶ台返しをwww)

作品の「レベル」をそこに持っていきたい、なだけのはなし
そういった小説を好んで読む読者が愉しめるだけの質を保持したい、という表明でしかない
たとえばそこであがるエーコ先生やキニャールやカルヴィーノ様やジーン・ウルフやラファティやパヴィチやキシュやジュネといったひとの作品を読むひとのほうが、わたしが何をやろうとしているのかを見分けてくれるだろうと思う
行き届いていないなりに、わたしが何を目指しているかが分かってもらえるっていうだけのはなしだ

とはいえ、
現実的にはべつに、「誰」に読んでもらいたいってほんとはナイんだよな
わたしが死んだあと生まれてくるひとにも、くらいのことは思ってるけど
「属性」に対する期待がナイ
そもそものところでクラスタに対する懐疑が先に立つんだと思う
年齢や性別や地縁や所属がどこまで「読書」に影響するのかに対して疑義がある
逆にいうと、読書そのものがそうしたものから離れるためにあってほしい、という願いがある
(とかいってるとマーケティングどうするんだよってことになるのですねええええ、いやーん><
だからジャンル小説が書けないってはなしに戻るw)

ついでに『夢のように、おりてくるもの』に関してはぶっちゃけてしまうと、
うささんが読んで愉しんでくれたら充分、という感じはアル
(前もかいたかな?)
極端すぎるもの言いだけど、ある程度は本気だったりする
何故ならそれは、
うささんの「要請」がなければ書かれなかった物語だからだ

もちろん「おはなし自身の要請」には最大限にこたえるし、
書き手であるわたしの野望やら野心やらもあるし同時に技術的鍛錬の場所でもあるんだけど
最低ラインの「役割」というか「存在理由」をそこにおいてあるのはジジツなんだよね

わりとわたし単純に生きてるなw