小説内に、文章(テクスト)という織物なり匣なり装置なりなんなりがあるとして、そのなかの単語ひとつひとつを繋ぐ糸みたいなのを捕えて、単語や段落同士の距離とか各々の熱とか重量とか速度とか移動とか跳躍とかを「眺めながら」同時にストーリー(物語)というのを動かして、あと「場」や「時間」、そしてもちろん「人物」たちを見ている、ていう感じ
ということとかを年中ずっと頭のなかでぐるぐる飽きずにやってきた、ん、だけど
いま逆に(この連載はべつにね、これは従来の方法でいくけど)、
それをしないでどう書くか、ていうこともしようと思っている(しはじめて、いる 神父モノとかはコッチにちかい)
敢えてやらないことで、本当にやりたいことの精度があがる可能性もあるなあ、と
いま、わたしは自分自身の「ものさし」が欲しい
