「ずっとずっと『カンディード』について思い出していたけれど、なんとなく言えなかった(いや、リユウは自分なりにはわかってる)。 / 1755年リスボン地震 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/1755%E5%B9%B4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87」
2011年4月27日の呟き(
)
「リスボン大地震のあとにルソーやカントが出たけれど
当時のポルトガルほどには国際影響力ないとは言え
誰かが触れて欲しいなぁと思ってました」
http://nhlultrus.blog103.fc2.com/blog-entry-120.html
届くこともある、待たれていたと知ることができる瞬間がある
言えなかった理由のひとつは言葉が、小説が、どこでどういう「重み」をもつのかが皆目見当がつかなかったという怯懦でもあるのだけれど、強い言葉、それだけで何らかのイメージや思想や記憶といったたくさんの何かをもたらすことが可能な作品名を提示するのはわたしでなくともいい、他にするひとがいるだろうから自分は今、ひとの言葉やその他をじっと黙って汲み取ることに専念しようと考えていたからだ
ただでさえ落ち着かない日々に、「書く人には謎がある。つまり、聞きながら話す人だという謎だ」(パスカル・キニャール)というほどの態度を保つことはむずかしかった
といいながら当時のハイクをよむと、いつもにもまして非常にもどかしげな書きっぷりのいっぽうで、祖母の安否確認その他わりと生々しい感情も思い出されて、やっぱり書いとかないと忘れるよな、て思ったりもしたw
そして、
大災害時権利制限へ憲法改正を
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130310/k10013095331000.html
こういうのには身構えてしまう
そのいっぽう
「先月2月23日(土)に開催されたCPAG若手研究者ワークショップ「ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で』から出発して」の報告がアップされています。報告者はCPAG特任研究員の柿並さんです。*リンク先PDF(527KB)http://cpag.ioc.u-tokyo.ac.jp/_include/_pre/_pdf/CPAG_Nancy_report.pdf」
Homo sum.
http://d.hatena.ne.jp/mondekind/20121126/1353941514
象を撫でに行く
http://d.hatena.ne.jp/mondekind/20121108/1352373582
過去と、未来の繋がりとしての「今」、
その蝶番、または数珠繋、展開や転換としての「言葉」と「イメージ」
