勝手に引用
この地上では、あらゆるものがたえず影を引きずっている。人はこの思い出の影に呼びかけるが、影には味もそっけもない。生きるためのさまざまな方法があり、他者を自分に引きつけるためにそれぞれの方法があり、他者の注意を確実に捕らえ、食べ物をもらい、媚びをうる、昔ながらの乳児の方法がある。
私にとって人に好かれることとは、自分のぎこちなさから一種の魅力を引きだそうと懸命に、また滑稽に努力することであり、少なくともそれによって人の寛容と同情を得ようとすることにほかならない。この方法は必ずうまくいくように思えた。
人は燃えるような、世界そのものであるような肉体を手にいれる。人はそれを抱きしめる。人はそれ自身では空間を占める一点――ひとつの観念のようなもの――でしかない。人が抱きしめるあの熱い存在こそ、世界で唯一の肉体なのだ。
誘惑の働きは肉体を光に変容させる。人に好かれようとする人は、光を吸収し、それを蓄積するのだ。愛し合う人の肉体には光がみなぎっている。その行動は軽々と、また確信に満ちている。
そもそもラブストーリーというものはいつもこんなふうに終わるものだ。「ああ、もうしわけない。勘違いしていました。てっきりあなたは誰かその……、誰かにその……、つまり、どこか見覚えがあるような気がして……」
私はいたずらに記憶を追っている。それは、いわば喉まで出かかっている言葉を果てもなく追い求めているかのようだ。
音楽はいつも心を動揺させすぎる、しかもむなしく動揺させる、あるいは今聞いている演奏家と張り合えないという悔しさがこみあげ、あるいは無能やまやかしを前にして怒りがわきあがってくるのだ。
後年、私はよくこんなことを思った。コンサートであれ、オペラであれ、学校であれ、集会であれ、幼年期の家族の食卓であれ、私たちの儀式には原始の名残りがいくつも残っていて、語り部にしろ、歌い手にしろ、司祭にしろ、暴君にしろ、その唇には猟犬の舌が隠されていると。
私たちはいつまでたっても石器時代の狩猟民で、永遠に狩りを繰り返し、たえず獲物に険しいまなざしを注ぎ、舌なめずりをしている。
フォークがロンジャンの槍であるように、書物は花の繰り返し、会釈の仕草は殺人の繰り返し、飲み物は洪水を繰り返すものだった。
私はいたずらに記憶を追っている。それは、いわば喉まで出かかっている言葉を果てもなく追い求めているかのようだ。
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キニャール好き過ぎるよわたし
