id:florentine
コネタ何の報告かわかりませんがのことを語る

http://blog.livedoor.jp/tbox/archives/52960420.html
「ここ半年、決まりのように「台」に乗っている演奏家を光内亘利は描いていた。
殆んど同じ筋書きで映画「男はつらいよ」は出来ている。
彼も同じ筋書きで何処まで出来るかと挑戦したのかもしれない。
だが、今回は台が無い。光内作品は具象絵画と殆んどの人は認識するだろう。
(略)
具象絵画に抽象絵画が紛れ込んでいるから、それらの区別は意味を成さなくなりつつある。
抽象絵画の領域だけで制作している作家は、これから具象を武器に抽象絵画を描こうとする作家と対峙しなくてはいけない。
中央の演奏家を手で隠すと抽象の世界がよく見える。」

こういうモノの見方のの、もっとずっと高度で精緻で美しい論理を展開してるのがジョルジュ・ディディ=ユベルマン氏だとおもうのよね
くりかえすけど、「「西洋美術史」って基本的には「通史」と「見方(読み方)」に終始すると思う」
通史はわりあいふつうに学校等でも学べるのだけど、「見方(「読み方)」を教えてもらえることがほとんどナイ、またはそういうものをいらない、ていうふうに斬り捨ててしまうこの国の現状やその感受性のありように戸惑いをおぼえることが多い
(ちなみにこれかいたひとは大学や本の知識等でこういうことを教わったわけじゃなくて自らそこへ到達してるわけなんだけど)