掃除洗濯炊事をやって誰かにやってほしいというのは古今東西男女問わずあると思うの。面倒でお金にならないから。
古い価値観というのは、女は家に入って家事をすべし、ということじゃなくて、女の子が家事をやるのは愛情表現という点で、それは少し昔の恋の空騒ぎのリア充よりの世界にも、そこから遠そうなエロゲにも脈々と息づいてるね、っていうお話。
”生きながら火で焼かれて”の著者の国では女性がひざまずいて、男性の靴下を脱がせて足を洗うことが愛情表現なんだってさ。これ見てちょっと引く国があるように、女性に世話を焼かせることに愛情表現より違和感を感じる人もいるでしょ?
一方で男性がお茶を淹れたりお茶菓子を用意したりすることを酷い侮辱だと思う人もいるんだよね。もちのすけが豆に世話を焼いてくれて、はてこが平然としてると、もちのすけは愛されてないと憤慨したり気の毒がったりする人がいるよ。
同じように男性が家にお金を入れることを一緒に暮らす上での合理性と結婚生活での責任と考えないで、愛情表現だと思ってる人もいる。
そういう人は生活費を入れているのが愛してる証拠になると思ったり、生活費に手を付けられて困っている人に、夫の愛情が他の形で示されていることをことさら強調したりする。問題はお金なのに精神性の話になる。
でも家事をしたりお金を出したりするのは愛情とはまた別のファクターだよね、と思ったの。
くたびれ はてこのことを語る
