id:kutabirehateko は
くたびれ はてこのことを語る

女の子むけときメモとかアンジェリークとかあまり詳しくないんだけど、あっちの男の子は理想の旦那さんになりそうな男性に求められた特質が現れていそうな気がする。仕事が出来る、頼りになる、他の異性に目を向けない、独占欲が強い、女の子にお金を出させない、饒舌、寛大。
素敵な贈り物もしてくれるし、素敵なデートプランも練ってくれる。理想的名リーダーシップを発揮してくれる。
 
でも、理想の旦那さん像というのは変わってきていると思う。もはやあたしがいなくちゃダメなんだからというくらい家事が出来ない男性の需要は少ない。
家事というのはどの時代に誰がやっても面倒で、ふつうお金にならない。特に仕事をしながら家政を管理するのは大変だ。だからお金のある人は人を雇うし、ない人は立場の弱い人にパスする。子どもだろうが、親だろうが、配偶者だろうが家事を肩代わりしてくれる人がいればパスしたいと思うのは大方の男性も女性も同じだ。
  
男を女の城に入らせないことを名誉に思っていた女性たちは、外で社会に大きな影響を及ぼす仕事だとか、びっくりするような収入を得られる仕事をしてる男性が、家では自分に頼らないと生きていけないことを誇りに思っていた。男が台所に立つのは世話をしてくれる女性がいないか、家事能力が著しく低い女性と暮らしているかのどちらかだ。それは惨めで不名誉なことだ。そんなことは許せない。自分の夫や子どもには立派に家事を切り盛りしてくれる女性がそばにいるのだ。
 
家の中がぐちゃぐちゃなのに、人手を借りて問題を解決しようとしない女性をいつも不思議に思っていた。一方で男性がそれを問題視していないことも不思議だった。でも、こう考えるとちょっとわかる。人手を借りなければならないほど家事能力が低いというのは、上のように考える女性にとっては人間失格なのだし、男性にとっては自分で家事をしなければならないほど事態が逼迫しているとすれば、問題はそれをやってくれる女性を手に入れることで、自分の家事能力の欠如をどうこうする必要はないのだ。
 
家事をやるというのは、生活しやすく家を手入れするということで、やれば住んでいる人が快適だし、やらなければ住んでいる人が不快になる。善いも悪いもない。道徳というより公衆衛生と生理の問題だと私は思う。
でも、これもまた道徳倫理として立派かどうかを測る尺度になりがちだ。
 
確かに家政の行き届いた家は賞賛に値するけれど、それはよく磨かれた車みたいなもので、必ずしも清い心が関係しているわけではない。そこには技術がある。磨く責任のある人が、適切な技術をもってやれば上手くいくのであって、任命された誰かが成果と関係ない伝統に基づいてやってもうまくいかない。
 
というわけで、男性も家事をやればいいじゃん、という話を女性は比較的受け入れやすい。もともと好きでも得意でもなかった女性には朗報だ。
一方意識しているかどうかはともかく、家事をするのは女性の愛情表現と信じてきた人たち、そして家事が好きでも得意でもなく、興味もない男性にとっては受け入れ難いと思う。だってそれは自分が家事もやってもらえない好かれない人間なので、好きでも興味があるわけでもない苦手な仕事をやらなければならないということだ。
 
アメリカのホームドラマを見ていると、警察や裁判所で働く子どもを持つ女性がちょいちょい出てくる。こういう女性にはまるで奥さんみたいな夫がいて、彼女が残業してる間に子どもの世話をし、場合によっては仕事を早退して子どもの学校に行っていたりする。女性も仕事をする社会では理想の旦那さんは、理想の奥さんとよく似てくるんだなと思う。
 
女性が家事をするのは愛情表現の表れ、男性が家事をするのは愛されていないか無能な女性を娶っている証拠という考え方だと、なかなか男性は家事をする気にならないと思う。また、そう考えている人は男性が家事を学ぶのを喜ばないと思う。