1994年の恋のから騒ぎを見て思ったこと
恋人の料理を作り、掃除をしてゴミを出し、脱いだ服を拾って歩いて洗濯するのが健全な愛情表現と思われていた時代があったんですね。94年のから騒ぎメンバーって私と年齢があまり変わらないはずだけれど、考え方がずいぶん違う。
「愛してると言葉にする男はいや、寡黙で少し不器用で、一生懸命さが感じられる方がいい」という言葉を、こんなにお若い人たちの口から聞くと思わなかった。
生活に困らない収入のある仕事が出来て、ある程度のルックスがあれば、脱いだ服を床に脱ぎ捨てて風呂に入り、家事が出来なくても男性が女性に歓迎される時代があったんだ。
こういう女性にとっては、妙に家事が出来る男性相手では自分の出る幕がないだろう。私がいなくちゃダメな人の方がいいだろう。口達者な男性は男らしくなくて嫌なんだ。
そしてその価値観を持った女性たちはまだ現役で、けしておばあちゃんなわけではなくて、いま結婚を考えている世代でもある。
なぜモテないと困るのか、どうしてモテる必要があるのか、ネットでモテ非モテの話題が出るたび不思議に思っていた。
だってモテる人生をさばいていくにはある種の才能が必要で、それなしにモテても人生辛くなるばかりだ。お金の管理の仕方を知らない人が大金を持つと人生が狂うように、モテながらまっとうに生きて行くのは結構難しい。モテなくていいじゃん。困らない程度に好感を持ってもらえれば。
でも、男性が衣食住を快適にするには自分を愛する女性が必要で、女性が安定した収入を得るためには自分を愛する男性が不可欠という考え方では、モテないことには人並みの生活は送れない。まずモテて、その中から自分に合う人を見つけないと、衣食住も収入も得られない。
そしてモテた暁には相手に自分の所得や家事能力をアピールする必要がある。
男は仕事姿をアピールするもの、それが最大の見せ場だから、と言い合うさんまと野球選手。結婚生活をうまくやる上で仕事姿が重要だなんていちども考えたことがない。
また、いくつかから騒ぎの動画を見ていて知ったんだけど、合コンで「料理出来る?」と聞くのがデフォルトだとは知らなかった。
2002年のから騒ぎで「料理は出来ない」と答えた女子大生の小林麻耶に、出川哲朗が「まだ本当の恋をしたことがないんじゃない? みんな本当の恋をすれば好きな人に料理を作ってあげたいと必ず思うんだよ」と言っていた。もはや本能的な話だ。
こういう考え方が、ほんの10年前は当然だったんだ。
こういう考えを前提に未婚の男女を見ていると、それは心配になるだろう。
何しろ母親か妻のいない男性が清潔で気持ちのいい家に住み、美味しい料理を食べ、感じの良い服を着るのは不可能なのだ。それは早く結婚した方がいいと思うだろうし、そのために収入のある仕事が必要だ。遊んでいる場合ではない。どんなに収入があろうが立派な仕事をしていようが、衣食住がめちゃくちゃでは命が危ない。命が危なければ心配になる。
一方、人を養える仕事と収入のある女性は結婚する必要がどこにもない。愛する人のために子どもを産める年齢ならいいので、40代で出産できるなら40代までは結婚しなければいけない理由がない。
結婚したらもちろん家事は全般的に女性がやる。女なら家事は絶対に本能的に出来るはずで、それが出来ないのは女に生まれた以上人間として不名誉なのだから、所得があっても外注するのは恥ずかしいことだ。女が結婚するとは愛する人のために家事をやるということだ。
だから家事能力の低い女性はどれほど仕事が出来ようが恋人がいようが人としてヤバいと心配される。
モテるって主に恋愛に関わることだと思っていた。でも、上のような考え方をする人や、そんな人が身近にいる場合、モテるかどうかは人間らしく生きられるかどうかということだ。
それは必死に考えなければならないことだと思うだろう。
くたびれ はてこのことを語る
