いぜんダイヤリでいわゆるモータウンサウンドと、黒人差別と、白人がカバーしたモータウンサウンドのメッセージ性の違いについて書いたことがある。
今日はJAZZについて似たようなことを感じた。
JAZZには「~ねばならない」からの解放がある。
それはクラッシックの枠の中で「ねばならない」を作ってきた側にも解放をもたらすのだと思う。
「かくあるべし」が強い日本人のクラッシック演奏者にとってもそうなのだろうと思った。
でもそれは、黒人が命を自分のものとして生きる権利をかけて歌い上げた抑圧との戦いとは違って、「~じゃなくてもいーよ」という自分を慰撫する甘いものなのねと思った。やさしい感じすらする。
くたびれ はてこのことを語る
