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くたびれ はてこのことを語る

それで家に着いたら先に継母ちゃんの肩を揉み、車で買い物に連れ出し、家事を手伝いました。
継母ちゃんがブロッコリーを手に取って何か考えて別のブロッコリーをカゴに入れたり
解説しながら泡ハイターでわたしの白いブラウスについたモスバーガーのソースを漂白したり
即興ででたらめな歌を歌ったりするのを聞き
指が入らないくらいがちがちに固まった肩に触れてみると
継母ちゃんが一人の生きた人間だということがじんわりと思い出されてきました。
殺意を抱いていたときのわたしは、継母ちゃんを概念や思想の塊のようにとらえていました。
「モンスター」に狙撃しようと思った人が珈琲に砂糖いっぱい入れてるのを見てやめたって話があったけど
この人も一人の人間なんだ、命をもった生き物なんだと思うと、これはだいじにしんといけんと思います。
でも殺意を抱いた自分に対しても「そうだよね、無理もないよ」と思います。
生涯で「おかあさんなんか死んじゃえ!」と思わずにいられる人ってそんなにいませんよね。

祖父は朝と夕方ヘルパーさんの介助を受けることになり、下痢も収まっていました。
食欲は以前ほどではないにせよ、わたしがいたときよりずっと増えていました。
その日の継母ちゃんが作った夕飯は
切り干し大根とひじきの煮物にほうれん草のお浸し
鰯の糠炊きとなめこ汁と白がゆでした。
継母ちゃんはその気になればこういうご飯をわたしより100倍手早く美味しそうに作れるのです。
ただ店をやっていた癖が抜けず、大量に作って傷んでしまったのをちょいちょい出すので
祖父はそういうとき黙って残し、継母ちゃんはムッとするという悪循環があるようです。
確かにそれは困ったところだけど、でもこうして作ってすぐ出せることもあるんだから、それはいいよね。
継母ちゃんも祖父に親切な気持ちを持つことだってあるかもしれない。
わたしから見たら無茶に思えるけど、自力歩行自力排泄の発破をかけることも、良い面もあるかもしれない。

祖父と、継母ちゃん含め実家の人々、ケアする人々、わたしたちが
同じチームとして喜べる結果に向けて、事に向かう姿勢が大事だ
と南場智子さんのスピーチを読んで思いました。