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くたびれ はてこのことを語る

「ミシンの使い方もだいぶ慣れたからお洋服でも作ってみようかな」
と洋裁の本を手にしたとき、テンションが上がらなかった理由もわかった。
服を作るために何メートルか布を買うのは特に楽しくないのです。
でも穴の開いた靴下を繕ったり、破れたシーツで巾着縫ったりするのはときめきが止まらない。

「欲しいものないのか」と父からブランド洋品店に連れていかれたときよりも
大任道の駅で240円の薔薇の花束を見つけたときに鼻歌が出てしまうのです。
「おーとーみちのえきーすってっきっなっとっこっろー♪」←「スイカの名産地」のメロディーで
と歌いながら一人で帰ってきたのです。

美味しいもの食べに行くより美味しいもの作る方がすきで
きれいな店に行くよりきれいな家にいる方がすきなのです。
片づけることそのものに喜びを感じなければなぜここまで打ち込めるでしょうか。
特に近年外食っつったら「具合が悪くてご飯が作れないときにいく」ということが続いており
「外食→貧しい、むなしい」という気持ちになります。
そしに対して蒸した芋を食べながら「これは原価30円だ」と思うときのあの恍惚感。

「お嫁さん、お母さんになりたい」という言葉に秘められた昭和の呪い、そして
「おとことたいとうにわたりあえるあたらしいおんな」という団塊世代女子の呪いによって
「家政に打ち込みたい、育児がしたい」というごく個人的で圧倒的な情熱をこれまで軽んじてきていました。
(そうです、わたしは肩もみと並んで子どもの面倒見るのも昔から得意だったのです。)
でも「そんなことをする余裕はない、早く体直してお金稼がないと」ってずっと思っていました。
いろいろと惜しかった。まあいい。家事は今日も明日もあるからな。