(でもわたし1971年生まれだし、ホーチミンは一般の人にそんなに会ってないと思うし、そもそもハノイは戦場になったことがあるのか?)
とあれこれ考えるけれど、こんなに泣いたのは婚約解消されたとき以来だ、という勢いで涙が出る。
気分を落ち着かせて午後の予定を立てようとGoogleで道を調べる。
泊まったホテルの前の通りを検索して、観光名所でも調べようと思ったらwikiが出てきた。
通りの名前がある軍人の名前で、彼はホーチミン亡き後主席になった人物だった。
wikiで写真を見た瞬間「こいつは悪いやつだ!」と怒りが込み上げてきてまた泣き出す。
こいつのせいで!許せない!
何これもうやだ。やだけどもういいや。泣け泣け。
リンクをたどってホーチミンのwikiも読む。号泣。嗚咽が止まらなず、目が腫れてきた。もう一時間以上になる。
ホーチミンが遺骸を神格化しないよう望んだこと、遺骨を北南中部に散骨するよう遺言を書いたことを知る。
軍部はそこを削除して、遺骸を政治利用したのであった。
また軍部がホーチミンに実質的な力を与えなかったこと、彼が主にラジオを通して国民を力づけ、励まし続けたことを知る。
もっとも貧しい人の家に連れて行ってほしいと頼み、その貧しさに衝撃を受け、肩を抱いて泣いたことを知る。
写真を見る。号泣。紙幣やお土産品のホーチミンの力のない姿とまったく違う。
このまま夜まで泣き続けていてもおかしくなかったけれど、14時にチェックアウトしなければならない。
わたしは泣きはらした目と朦朧とした頭でロビーへ降りていったのであった。
