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くたびれ はてこのことを語る

翌日の体調は出国時に勝るとも劣らないくらい悪かった。帰れるのか。
この日の予定は往復6時間かけてハロン湾へ行き、途中バッチャン村で焼き物を見るというものだった。
ハノイからハロン湾へは毎日観光バスが出ている。にもかかわらずその道は未だ大半が舗装されていない。
去年までアスファルトの粉塵が自然環境と人体に及ぼす影響を強く懸念して暮らしてきた。
でもハノイからハロン湾へバスで移動すると「アスファルトっていいもんだったんだ」と痛感する。
むりむり。ぜんぜんむり。今日ハロン湾なんか行ったら日本に帰れない。

ということでわたしはホテルに残った。
しかしハノイの街は交通量がハンパなく、車もバイクもクラクションをアクセルと同じくらい吹かすのでものすごくうるさい。
大通りに面したホテルだったので、風邪薬を飲んで横になってもちっとも眠くならない。
飛行機は深夜便だ。帰れるのか。帰れなかったとしてもハノイにいたらよくなるように思えない。
悶々としながら目をつぶると、まだ若い女性の細く汚れた手が浮かんできた。
昔の私の手だ、と思う。
同時に、なんだそれ、と思う。

おじいさんとおばあさんとここで暮らしていた。辛いことがたくさんたくさんあった。
なんだなんだ。熱でどうかしてきたのか。
細く汚れた路地のむき出しの漆喰の壁と、土間。背中の赤ん坊。わたしの妹。
思い出したくないたくさんのこと。本当に辛かった。ここに来たくなかった。怖いことがたくさんあった。
なんだか二重の意味で怖くなってきた。
ふだんの自分の感覚で、自分の頭に浮かぶ映像と感情が怖い。
知らない自分の感覚で、思い出したくないことを思い出しそうで怖い。

お兄さん。お兄さんと妹とおじいさんとおばあさん。
わたしの汚れた細く長い指。背中の妹の暖かい重さ。怖くて悲しくて辛いこと。
吐き気がしてきたので目を開けて洗面所に行く。何も吐けずにベッドに戻った。