ホーチミン廟のこと
「あの人たち、ホーチミンを知らんとばい。ホーチミンっち土地の名前と思っちょったんばい」
と、ホーチミン廟の前でマダムズBがささやいてきた。わたしは一瞬何のことを言っているのかわからなかった。
ホーチミンは、昨日いた土地の名前じゃん・・・。
「ホーチミンが大統領っち知らんやったとばい」
そこで微かに「ホーチミン国家主席」という言葉が浮かび、おぼろげにお札の顔などが浮かんできた。
そうか、わたしも知らなかった。なんでハノイにホーチミンがあるのかと思ってた。
「ホーチミン廟にはホーチミンの遺体が当時のままの状態で安置されています」
と話すガイドの言葉に、遺体防腐処理って何よ、趣味悪いわー。エビータか。と思う。
引き続き風邪で体調もよくないし、ここはバスに残って待っていようかなと思ったが、流れでバスを降りた。
午前中は遺体が公開されており、人も大勢いるそうだけれど、小雨ぱらつく午後の広場は閑散としている。
「あの人たち本物?本物の人間?」
マダムズが直立不動の兵士を遠くから指さしてガイドに聞く。
「そです。毎日あして守っているです」
「雨の日はどうするんですか」
「雨の日は屋根できるです」
えー、まじでー。
さて、ここからちょっとオカルトです。
わたしはホーチミン廟のほぼ正面に近づくにつれ、廟から圧倒的な力を感じはじめた。
それは皇居や国会議事堂で感じるような巨大な権力の威圧感でもあったけれど
同時に大宰府天満宮で感じるような、神聖で侵すべからざる力でもあった。
そして泣きたくなるような暖かさと懐かしさと切ない悲しみの気持ちが湧いてきた。
ホーチミンさんのベトナムへの愛はなんて深いものだったんだろう。
その愛はいまだ絶えることなくこの国に及んでいるのだと痛感して頭を下げずにおれなかった。
彼を埋葬して土に返してほしい。彼を見世物にしないでほしい。政治利用しないでほしいと思った。
まるで祖父の墓にやってきたようだった。
この時点でわたしはホーチミンについて何も知らなかったのに、なんだか涙が滲んできた。
周りの人々は写真を撮ったり、おしゃべりしたり、いたって普通にしている。
ガイドがホーチミンの生涯を語り始めたのはその後だった。
この経験がその後ベトナムに対する見方を改めさせられるきっかけになった。
