金麦CM
なぜかあちこちで不評を買っている金麦CMの壇れい。
初めて壇れいを見たのは駅の巨大な看板だった。
それまで芸能界では見たことのない新鮮な顔、かつ実家福岡にはよくいる馴染みある美人顔。
すっかり目を奪われ、その場で電車が来るまで釘づけになった。だ、誰?何してる人?
その後金麦CM愛人説を説いたブログ記事を読んで愕然とした。
ひどい!こんな意地悪な見方がある?!と思った。
彼女が亭主関白の代名詞九州男子に仕える地元の美人妻らと重なっていたせいもあると思う。
知り合いをけなされたような気持ちだった。
でも動画で金麦CMを確認したら、わたしも何だかもやもやした気持ちになった。何だろう。
最初に駅で見た看板の壇れいはどこに行ってしまったのだろう。
いつしかわたしはアンチ金麦になり、「美しい隣人」では「いいぞ、仲間由紀恵」と思っていた。
最近Togetterで「金麦CMは婚約者に先立たれ気が触れた女性という設定で見ている」
という話と、その反響を目にした。愛人設定で見ている人も大勢いるようだった。
このCMの何が彼女を「常識はずれな生き方をしている異常な女性」と思わせるのか。
そしてここまで人を、特に女性を苛立たせているのだろうかと新ためて思った。
「多くの女性が封印してきた男性への媚を臆面もなく表現しているからだ」
「男が頭で考えた都合のいい女そのもので気持ちが悪いからだ」
というような意見があった。でもわたしはいわゆる「ぶりっこ」には一目置いている。
AKBと地方支部のみなさんが「いかにファンを釣るか」という動画など実に感心する。
松田聖子が叩かれていたころだってずっと聖子ちゃんはすごいと思っていた。
同じく福岡出身の田村ゆかりのファン転がしぶりも大したものだと思っている。
第一「あんな女いない」というのは誤りで、ああいう女性はいなくはな・・・
わかりました。
わたしの地元で求められる女性像、また地元女性の共通認識としてのあるべき妻像
それが金麦女と重なるのです。
地元美人とシンクロする壇れいがやってるから3割増しです。
正確には、金麦女はステロタイプな妻のように見えるのではなく
その理想像を演じることに必死な、崖っぷちの女性に見える。
意中の男性を転がすため女子力をいかんなく発揮する女性は地に足がついており、余裕がある。
でも金麦女は全力で可愛い子ぶって、なんとか捨てられないよう必死ではしゃいでいる。
理想の女になりきれば、彼も愛してくれるはず。そしたら不安も消えるはず。
それが痛々しい。
殴られても蹴られても、ごめんね、悪いところ直すからと言いながら着いて行きそうな気がする。
現実に壇れいが顔色をうかがっているのはスポンサーであり視聴者で、あの笑顔は
「かわいく笑えたでしょ?いいCMになったよね?これからも一緒にお仕事するよね?」
という意味だと思うんだけど、見ているとCM中の金麦女に対して
「もうそんな不幸な恋愛をオンエアするのはやめろ」
「まだ自分で決着がつけられないのか」
という気持ちになる。まともなビールも買えない癖に、アルコールが抜けない男なんだろ。
とりあえず飲ませないと話も出来ない男なんだろ。
待っても無駄だ。もうやめろ。
