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雪杯×すのう!のことを語る

俳句おまんじゅうのお話

・「書かれぬ」の受動態が気になる件、おっしゃる通り、受動態と否定語は俳句ではあまり使われないんですよね
俳句は作者が主体なのが前提なので、私はという主語は書かないで、動作は自動詞
受動態が入ってくると、主語+誰か がいることになって、よくないとされていますよねぇ
この句は、主語は文、それを書いていないのは誰?ってことで、普通に考えると作者なので、「これは作者の自動詞で書き直した方がよい」という指導が入る可能性は高いですねぇ
私は、卯波と文を重ねて想起するようなシーンとして詠んだので、文が主語になったのですけれど、作者主語の書き方に直すこともしてみた方がいいなぁと思いました
*作者以外がいる場合は明記しないといけないのですが、漱石の手紙だというのは、あくまで私の心のうちの作句動機であって、この句に漱石さんはいなくてよいのです

・文は「書かれている」から「文」の件、おっしゃる通り、文と言ったら書かれているものです
書かれていなかったら、それは「紙」
ただ、蛍に「光る蛍」という表現はあり得ないが(蛍は光るものだから)、「光らない」のであれば「光らない蛍」という表現はあり のように、文なのに書かれていないのであれば、「書かれぬ文」という表現はありと考えます
そこで、「それは紙ではないのか?」ですが、「紙」を詠みたいのではなく、「書かれるべき、書かれるはずの文章が書かれていない」という「文」を詠みたいので、やはり、それは「紙」ではなくて、「文」なのです

・「書かれぬ」を「白紙」と言い換えの件
白紙委任状、白紙の答案用紙などの表現があることから、「本来書かれるべきことが書かれていない状態」として「白紙」という言葉を使いました
辞書では明鏡には、そういう説明も載っています
なので、「白紙」=「書かれていない」は成り立つかなぁと考えます

・「白紙を積むか?」問題、これは自問自答
まだ書いていない紙であれば、積む必要はないわけです、書き損じなら積まれるだろうけれど
けれど、ここで紙が一枚あるだけだったら、「今書こうと思って、まだ書いていない」くらいのイメージになってしまう
積まれた白紙には、書かれないままに経過した時間とか、その間に書かなければという葛藤、書きたい気持ちが募っている様、本当はたくさんある書きたい事柄などがイメージされるのではないかなぁと思い、演出的に積んでてよいと思いました

・というわけで、書かれぬ文は降り積もるは情景としては伝わると思うのです
でも、“降り”はいらなかったなぁ、「文は書かれぬまま積もる」とか、ここの言い換えはいくつもあったのだけど、あれこれ消してしまった
卯波/たつ 文は/◯◯◯ の構造にもしたかったんだよなぁ
自動詞に改めるときに、またいろいろ考えよう

・で、中七下五と季語の取り合わせが成立しているかどうかが、ものすごく不安で、それを添削で指導してほしかったんだよなぁ…