今読んでいる「虞美人草」と、写生文
事細かな描写に「ふぅ…」って思っていたのだけど、京都の様子、大原女がきれいだとかいうのは、当時、京都を訪れる機会のなかった人には大切な情報なんだよなぁ
旅館の様子なんかも、そうなんだよな
だから、明治の社会も景色も生活もわからない私が読んでも、わかるんだよなぁ
写生、写実の基本姿勢っていうのは、相手は0だってことなのかなぁ、共有している情報は0だと思えっていうか
写生文っていうのは、日本の外に世界があるってことで生まれたのかなぁって思うけれど(世界の持っている日本の情報は0、っていうか、世界にとって日本はそもそも0)、国内でも情報の差はあって、写生文だから大勢が共有できて、だから時代を経て当時のことを知らないニンゲンが読んでもわかるんだなぁと思ったり
差とか違いっていうのを大前提としているんだなぁと思いました
プレバトでも夏井先生が「写真を観ていない人にわからない句を詠むな」って言うもんなぁ
雪杯×すのう!のことを語る
