最終章とは違う話だけれど、ダーウィンの進化論が「ダーウィニズム」となって、他の学問の論理に用いられることで、全ての事象が同じ結論へ導かれるという事態に陥ったということに驚きました
進化論は科学だと思っていたし、優生学はえせ科学なんだと思っていたので、同じ地平で扱われていて、当時はそれが科学的に正しいとされていて、それが科学を越えたところで、機能していたことに衝撃を受けました
でもなぁ、一神教の考え方だと、そうならざるを得ない部分はあるのかなぁとも思う
あと、哲学のない科学は危険ということをよく聞くけれど、哲学が科学を曲げることも、科学が哲学を曲げることもあるんだなぁと
各種学問がクロスオーバーっていうの?横断的に研究されるのはよいことだと思っていたけれど、絶えざる疑義の視点がないとだめなんだなぁとも
アドラー心理学がもてはやされることに感じていた危うさと、似た印象を受けました
あ、その一神教の思想ではそうなっちゃうよなぁっていうのに対しての、文学であり、個人だったのかなぁ
で、その一神教っていうのは、この国だって、これからだって作りたい人には作れちゃうんだよなぁ
別に神様の名前にしなくても、明治〜昭和と同じ形にしなくても、なんなら別に今のままでも可能なんだよなぁ
