「他流試合―兜太・せいこうの新俳句鑑賞 」で季節感について語られていて
季語以前に日本人は季節に縛られているっていう話で
でも、季節感っていうのはある程度の年齢に達して認識するもので、子供の頃は目の前の事象に夢中で「季節感」っていう認識はないって言う話で
それで、季節を実感するには本人の経験とその蓄積が必要だけれど、それを季節感と落としこむには「これが季節感である」っていう言語化が必要じゃないかなぁと思って
私がいやだなぁと思っていることに、もう誰でも彼でも「さくら」の歌を歌うじゃないですか
は?そんなに若いのに?っていうアーティストまで、年が明けると「はい、さくらー」みたいなかんじ
いや、アーティストだとか楽曲が気に入らないわけじゃなくて、その風潮に違和感というか、同調圧力みたいなものを感じるわけです
で、最近は誰でもSNSで写真を上げることができて、高校生だってなんだって、「花」とか「空」とか撮って上げているわけで、それって季節感の認識が早まるというか、若いうちから「日本人」になっていくことになりはしないかと
って思って、つらつら考えてみたのだけど、いやいや、やつら、すっごい自撮りとかして、自分の顔アップとか、やたら撮ってるんじゃ?と思い当たり
安心したわけです
雪杯×すのう!のことを語る
