婚姻時住んでいたマンションを出る日、元夫が出掛けると運送屋に連絡を入れた。
「決行です」
元夫は自分の実家が勤務先をいいことに、始業時間過ぎに家を出るのは普通で、行かない日もあれば行ってもすぐに帰ってきたりと、見事な馬鹿二代目だった。
二時間ほどで押し入れに荷造りしてあったものとタンスを運び出してもらうと、私は予約してあった隣町のウイークリーマンションに向かった。
そこから一週間、期間社員だった夜勤の工場の勤務に通ってた。
三ヶ月の満了でもらえる10万はウイークリーマンションの支払いをしても魅力的だった。
まさか、家を出てもそちらの仕事を続けていたとは夢にも思わなかったと思う。
念のため、夕方部屋を出て近くの同僚のおばちゃんちに行き、そこから一緒に乗せてもらって出勤し、帰りはまたおばちゃんにまで行き、仮暮らしの部屋に帰った。
今も独り暮らしだけれど、あの時の、すぐ先に自由が待っている!というウイークリーマンションでの解放感はすごかったな。
最後の日、工場で仲良しになった、なぜかみんな結婚で苦労したおばちゃんたちが、
(仕事の時間帯か偶然か、その時夫のいるひとは十数人の女性のうちひとりしかいなかった)
仕事が終わった午前一時、ささやかにガストでお茶とケーキの送別会をしてくれた。
中にはまさに今から出ていくと初めて聞いた人もいて、ずいぶん驚かれて、でもずいぶん励ましてもらった。
それから五時間かけて私は長野に戻り、夜が明けていくのを見た時、やっと終わったって体から力が抜けた。
優しかったおばちゃんたち、また会いたいなぁ。
ふと思い出したんで書いてみたこと。
