モンクとネリーは、飛行機のファーストクラスで世界を飛び回るような生活を送ったが、もし彼がどこかの会社の清掃員や、あるいは工場の仕入れ担当係で、朝に起きて、夕方に帰宅して食事をとるような生活を送っていたとしても、ネリーはやはり同じように彼の面倒を見ていたはずだ。彼女なしではモンクは無力だった。彼女は夫が着る服を選び、混乱して服もうまく着られないようなときには、手伝って服を着せてやった。そんなときモンクは、シャツの袖の中で拘束衣を着せられたみたいに硬直し、ネクタイを締める複雑さの中に自分を見失っていた。彼が音楽を創り出せるようにしておくこと、それが彼女の誇りであり、達成だった。モンクが音楽を生み出すためには、彼女は不可欠な存在だったから、彼のほとんどの曲のクレジットに、共同作曲者として彼女の名前を添えてもいいくらいだった。
彼女は夫のために何でもやった。空港で荷物を預けるのも、柱みたいにぼんやり突っ立っていたり、そのへんでくるくる回転したり、あてもなく歩き回ったりしている彼のためにパスポートの手続きをするのも彼女の役目だった。人々は彼のそばを通り過ぎながら、この男はいったい何をしているんだろう、戸惑いの目で見た。浮浪者みたいに覚束ない足取りで歩き、婚礼で紙吹雪を投げるように両手をさっと開き、行ってきたばかりの国でおみやげに買ってきたおそろしく変てこな帽子をかぶっている彼の姿を。飛行機に乗ると、ネリーはモンクのためにオーバーコートの上からシートベルトを締めてやった。人々はそれでもなお彼を好奇の目で見ていた。独立を間近にしているどこかのアフリカの国の指導者なのだろうか? モンクの姿を見ていると、泣きたくなることがネリーにはあった。憐れんだからではない。彼もいつか死んでしまうだろうし、そうなったらもう彼みたいな人間は世界中探しても一人もいないのだということが、彼女にはわかっていたからだ。
monkey business. vol.9. もしセロニアス・モンクが橋を作っていたら. ジェフ・ダイヤー. 村上春樹 訳. p.211-212.
