id:dominique1228
勝手に引用のことを語る

 戦争に関する音楽をやりたい。と思った。今僕の中にはセックスによってもスポーツによってもドラッグによっても愛によっても過食によっても知識によっても他の音楽によっても解消されない何かが存在し、僕の精神を少しでもヘルシーにするものはもう戦争でしかない。

 ここでいう戦争とは、厳密に言えば「地上戦の最前線」というのが最も近いし、イメージ上のイコンとしてはヴェトナム戦争という歴史的事実からいくつか採用しているけど、これはナム戦が歴史上最も音楽に接近した戦争であったことに敬意を表しているだけで、あの戦争自体を再現したいとか思っているわけじゃない。純粋に戦場であるような音楽がやりたい。

 こんなことは言うのもアホらしいが、愛と平和の名の下に実際の戦争に反対するとか、或いは逆に国家に対する誇りと自信を獲得しようという考えから実際の戦争に賛成するとか、そろそろ戦争が来るぞと平和ボケの大衆に警鐘を鳴らすとか、実際に起こっている世界のどこかの戦争を見てお前らはどう思うんだと問いただすとかいうつもりはさらさら無い。

 そういう人がいても全く構わないが、僕にとっては総て全くどうでもいい。というか、僕にとって戦争とはこうやって反対したり推進したりイデオロギーによってコントロール出来るものなどではなく、ある日突如として不条理にやってきては否応もなく巻き込まれる悪魔的存在で、一度始まってしまったらとにかく命がけで動き回る以外にすることは何もなく、とにかく自然に収束するまではそれが続く。その間には膨大な意思と遂行、その頓挫と混乱が無秩序に繰り返され、死ぬか致命的な負傷を負うか、もしくはかすり傷ひとつなく済む。そういうものだ。戦争はいつか来るだろうが、それがいつで、どうなるかなんて誰にも解らない。軍事アナリストであろうと大統領であろうと役には立たない。僕は戦争をそういうものだと思っている。
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 言うまでもないが、轟音の中で人々がしゃにむに体を動かす。という現象に於いて、戦場とグルーヴ音楽のライヴには共通点がある。チルアウトは休戦時に例えられるし、チークタイムの甘い調べは戦場で抑圧されたセックスそれ自体への欲望と直結している。要するに総てダンスだということで、ダンスと言っても、例えば四肢欠損者や、他の障害で運動性を剥奪されてしまっている人でもダンスは出来る。勿論優れた肉体を持ったダンスの熟練者も、全く体を動かさない、能のような脳内ダンスであろうと総てのダンスは美しい。男は軍装さえすればみんな美しいなどと口を滑らす人々もいて、現在ではそれは戦争讃美だからいけないと言うよりも、むしろジェンダー上の差別発言として弾劾される状況にある。・・・

 以上がこのバンドに関する、僕の計画のちょうど半分だ。残りの半分は戦争のブラック・ユーモア性だが、ちょうど半分だけにしておく。というのが最近の僕の流行で、これはダイエットの経験から学んだものだがなかなか気に入っている。担当医は「常にちょうど半分。という概念を持ちなさい」と僕に言った。                   (DCPRGに関する二番目の企画書・・・・・・計画の50%. 2000 10/12)

菊地成孔. スペインの宇宙食. 小学館. p.180-185.