id:dominique1228
勝手に引用のことを語る

 こういう夜は、ねぎを刻むことにしている。こまかく、こまかく、ほんとうにこまかく。そうすれば、いくら泣いても自分を見失わずにすむのだ。ねぎの色、ねぎの形、ねぎの匂い。指先にしんなりするねぎの肌の感触。ねぎを刻みながら、また涙がおしよせてくる。目の前が浅い緑色ににじむ。私は泣きながらねぎを刻む。ごはんのスイッチをいれてねぎを刻み、おみそしるを作ってねぎを刻み、おとうふを切ってまたねぎを刻む。一心不乱に、まるでお祈りか何かのように。誰かに叱られたら改心できるのだろうか。私は改心したいのだろうか。なにを、どんなふうに。
 小さな食卓をととのえながら、私の孤独は私だけのものだ、と思った。しゃくりあげつつおはしを揃え、おしょうゆつぎをだす。山のように刻んだねぎをおみそしるにどっさり入れて、冷ややっこにもどっさりかける。あしたになったらすっきりした顔で、何ごともなかったみたいに会社に行ってみせる。大きく深呼吸をして、私は泣きやんでからごはんを食べる。
――「ねぎを刻む」より

つめたいよるに. 江國香織. 新潮文庫. p.179-180.