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勝手に引用のことを語る

 プラクティカル・ジョークという言葉を知ったのは、中原弓彦サンが編集していた『ヒッチコック・マガジン』という雑誌のコラムでだと思う。その後、アレン・スミスの『いたずらの天才』という本で、アメリカの、その手のジョークの実例に出会うことができた。
 それ以前から、中学生のくせに自分でも結構やっていた。
 通学カバンの中に、目覚し時計とどこかでかっぱらってきた電話の受話器を入れておき、バスの中で、目覚しのベルを鳴らし手受話器を取出し「はい景山です」などとやって周囲の乗客をびっくりさせて喜んだりしていた。(引用者注:1960年ごろの話です)
 表紙だけが印刷されていて、中身は全部白紙の単行本を手に入れ、電車の中で声を出して笑いながら読んで、隣の席のサラリーマンを気味悪がらせたりもした。
 ウケようとしてやるのではなく、結果など気にせずに、自分の楽しみのためだけにやるから、プラクティカル・ジョークはおもしろいのだと信じている。
 大がかりなものでは、テレビを使ってやってしまったことがある。
 スペシャル番組で、恐山のドキュメンタリーを作ったときに、深夜ひとりきりでフィルムの編集をするハメになった。
 ふと思いついて、別に撮っておいた再現フィルム用の幽霊のカットを各8コマほど、マジなドキュメンタリーの中に3か所つなぎこんでやった。フィルムの1秒は24コマだから3分の1秒だけ、幽霊の姿が登場することになるわけで、「ン?」という程度の印象しか残らない。
 知らん顔してVTRにダビングして放送してしまった。番組終了後にテレビ局のデスクの電話がワッと鳴って、視聴者が大騒ぎしている。
「私、さっきの番組見ていたら画面に幽霊の姿が映ったんです。チラッとですけど確かに見たんです」
 こっちは知らん顔で受け答えるしかないもんね。
「いやァ、放送前のチェックではそーゆーものは映ってなかったんですが・・・・・・」
 1時間ほど続けざまに電話が来て、反響の大きさに驚き家に帰ったら、ラジオの深夜放送で、南こうせつサンが真剣に「わたし、今日テレビで霊を見まして・・・・・・」と喋っていたので、また30分ぐらい一人で笑い転げて喜んでしまった。

ONE FINE MESS. 世間はスラップスティック. 景山民夫. マガジンハウス. 1986. p.36.