【手抜かり】
話はこうだ。
律法学者(ラビ)エリエレクが弟子たちと夕食をとっていた。召使がスープの入った皿を運んできた。律法学者(ラビ)はそれを引っくり返し、スープがテーブルの上にこぼれた。リマノフの律法学者(ラビ)にもうじきなるはずのメンデル青年が叫んだ。
「先生、何をなさるのです?わたしたちみんなが牢につながれてしまいますよ。」
ほかの弟子は笑い顔になった。おおっぴらに声を上げて笑いたかったものの、師がその場にいるのでそれを慎んだ。ところが師は笑い顔を見せなかった。彼はそのとおりだというように頷き、メンデルに言った。
「息子よ、恐れることはない。」
あとになってわかったのだが、ちょうどその日、国中のユダヤ人すべてを弾劾する布告が皇帝の署名を受けるべく提出されていた。皇帝は何度かペンをとったのだが、何かしらかならず差し障りがあった。やっと皇帝は署名した。インクを乾かそうと砂箱に手をのばしたが、間違ってインク壺を取り上げ、布告書にインクをこぼしてしまった。そこで彼は布告書を破り棄てた――そして二度とそのようなものをもってくるなと命じた。
___マルティン・ブーバー
ボルヘス怪奇譚集(柳瀬尚紀訳)晶文社. p. 130-131.
