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勝手に引用のことを語る

 新聞配達のクスマは相変わらず仕事熱心だった。通りの向こうに彼の姿が見えると、心の中に灯がともったように明るくなる。決まった時間に決まったペースで届く彼の足音ほど、心をやすらがせるものはなかった。
「きみの足音を聞くと安心するよ」
そういうとクスマは、はにかんだように笑った。
「ぼくにはこれしかできないですから」
 なんでもできると思っている人より、これしかできないと思っている人のほうが強いのかもしれない。彼の仕事は単純だし、なんの技術もいらないけれど、自分のやるべきことはこれだと信じて一心にそれを行なう。そのシンプルな情熱が人の心を明るくする。社会の不安がつのり、みんなの気持ちがささくれ立っているいまのような時期は、なおのこと彼のような存在が救いに思えた。

ソキョートーキョー(鼠京東京). 大竹昭子. ポプラ社. 2010. p.165-166.