停年を控えた私が研究室を片づけていると、埃にまみれたSEPAC(※)の文書の山がありました。その古文書をひもとくほどに、20世紀に栄えた宇宙文明の経典の趣があふれ、密林にマヤ文明を発見した感がありました。「すごいことをやったものだ」という思いが、ナット浮遊事件の見方も変えました。というのは、もしその文書に「完成品の取扱中に異物の混入を避けること」と一行書いてあったら、ナットは遠慮しては入らなかったに違いないと思い始めたからです。「そこまでは書かないのが普通です」という言い訳もあるでしょうが、実は、私、そこまでは気が付かなかったのです。
※SEPAC(シーパック:Space Experiments with Particle Accelerators) ’70年代に宇宙科学研究所の大林辰蔵教授が構想した宇宙空間で何回も使用できる科学実験装置。’92年、人工オーロラをつくる実験装置が再びスペースシャトルに載せられ、実験成功)
長友信人 / 東京大学宇宙航空研究所教授
(’83年11月スペースシャトルでの人工オーロラ生成実験失敗時の
日米合同チームプロジェクトエンジニア / JAXA相模原キャンパスの展示より
↓原文はweb上ではここにあった
http://www.isas.ac.jp/ISASnews/No.228/mspace.html
http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/chapter07/01/02.shtml )
勝手に引用のことを語る
