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コネタ何の報告かわかりませんがのことを語る

考えるに、人類が近代化を経て発展していくのに、神の外部化は必須だったろう。規範を外部化した神に統一してしまえば、支配層は楽だし、よほど真面目な修道士や天性のセンスを持つ信者以外は問題を感じないだろうし。

だから免罪符は売り出されたし(ひとの内部の神=良心に照らしたら、売れないし買えないよね)、聖書は庶民に考えさせないためにながらくラテン語のみで、通常使う言語に翻訳されなかった。

でも国家が豊かになって、庶民までもが内部の神に照らす必要なく精神活動を進めた結果、ニーチェ状態に至ってしまう。

ところがそこで神が庶民の間から完全に見失われたままかというと、現在は別の形で復活してきていると思う。

怪しい新興宗教もいろいろあるけど、欧米系が仏教に惹かれる点に、わたしは希望を見出したい。そこにはかつてとは違うかたちで(なにしろキリスト教以前とは桁違いでわたしたちは自我を開放してしまっているから)、内部の神=良心に向き合おうという人が、衣食足りている側から増えているんじゃないかなあ。

だから、伝統宗教の側も、古来とは異なる精神活動を行う、自我の肥大した人間に向けて、変わってほしいと思っているのです。