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自分(id:spectre_55)のことを語る

で、その『イミテーション・ゲーム』の感想を。いつも通り長文、あとネタバレ注意で。

これまた史実を元にした映画である『J・エドガー』に、主人公フーバーに求婚された女性秘書がそれを断るんだけど、そんなことがあってもなお、仕事相手としての自分に信頼を置き続けた彼に、彼女は(文字通り)生涯の忠誠を尽くす……ってのがあるんだけど、
『イミテーション・ゲーム』でチューリングに婚約破棄を持ち掛けられ「僕は同性愛者だ」と告白されても、ジョーンがそれには殆ど動じずに「貴方も私も普通の夫と妻にはなれないだろうけど、それが何か?」的な事を言うシーンで思い出したのですよ、それを。

個人差は大きいことだと思うけれど、「"女"として求められること」よりも、自分の能力とか、才能とか、別のところで評価され認められて受け入れられる事の方が遥かに大事、って心理、あるんじゃね?っていう。
特にさー、ジョーンの場合なんか、作中にも描かれてるけど、あの時代のイギリスで、料理よりも数学が好きで、それで働いて食べていきたいなんて言ってる女子なんか、はっきり言えばかなりの変人扱いだったんじゃないかと。
それが、君の才能は素晴らしい、その能力が絶対に必要だ!って絶賛&大歓迎される訳じゃん。そりゃセックスなんてどーでもいいって気にもなりますって……多分!

他の感想とか見ると、変わり者のチューリングがジョーンのおかげで多少なりとも周囲に馴染むことができて、みたいな物言いする人が多くて、確かにそれはその通りなんですが、
ジョーンにとってもチューリングは「変わり者の自分を認めてくれた人」だったんだろうなあ、恋愛じゃなかったけど、この二人は人として相性良かったんじゃないかなあ、と思う訳です。

だけに終盤、現代から見たら非人道的極まりない刑(セックスどころかマラソンもできなくなりかねん…)に服してガッタガタのチューリングを、人妻になったジョーンが訪ねてくるところは胸が詰まるもんがあった。
「君は"普通"を手に入れたね」と「貴方が"普通"じゃないからこそ、世界はこんなに美しい」の対比がさあ……。結局、チューリングに最後まで寄り添ってくれたのは"クリストファー"だけだったのか、と思うとしみじみ悲しい。

それから、チューリングを逮捕しちゃう刑事さんね。あれすげーいい役だと思うんですよ。天才だらけのブレッチリーの同僚とか、その上司の偉い軍人(この人格好いい)とか、喰えないにも程があるって感じのMI6のミンギス(怖格好いい)とか、みんなある意味"普通"じゃない中、
あの刑事さんだけは多分、いろんな意味でわりと"普通"、かつ良識ある人(あの時代にしちゃホモフォビアも薄そう?)だと思うんだけど、そんな人が、自分でも何かおかしいとは思いながらも、チューリングを罪に問う事になってしまうって言うところのやる瀬無さったら。出番少ないけど凄く"残る"感じでした。

エニグマ解いてメンバーみんなで喜んだのもつかの間、暗号解読なんかより更に辛い、非情な決断をしなければならなくなってしまう事といい、そのメンバーの中に実は……って展開といい、かなりほろ苦風味な、しんしんと悲しい気分になる映画ではあるんですが、
ラストシーンが「"クリストファー"のある部屋の灯りを消すボロボロのチューリング」じゃなくて、「機密保持の為に資料を焼き捨てるブレッチリーの面々(+字幕で語られるチューリングのその後)」だってあたりに、映画を作った側の、チューリングに対する愛情というか優しさというか、俺はそういうものを感じたわけです。
なんかみんなちょっと楽しげな表情で、キャンプファイアーしてるみたいだし、それにホラ、火って浄化のシンボルだったり、鎮魂の為に捧げられたりするもんじゃん。

ちなみに、これ、ゲイ映画ではあるんですが、ラブシーン的なものは全然ありません。チューリングの初恋は描かれるけど、プラトニックな切ない片思い(子役の演技もなかなかいい)だしなあ。
だから、「差別したい訳じゃないけど男同士のラブシーンはどうにも…」という向きにも見易い映画ではあるかと。
あとは英国男子萌え、クラシカルなスーツ萌えな向きにもお勧めしたいですけど、ミリヲタ(戦史ヲタ)にはどうなんでしょうね?その辺さほど詳しくない俺は楽しく見られましたが。