【烈車戦隊トッキュウジャー】【長いよ!】
……そもそも「キラキラ」って何だったのさ、って話をします。
最終話で、やられた陛下の為に自分たちの存在までも捧げようとした侯爵&男爵が「キラキラしてる」って表現されてたり、
闇陣営ながら恋する相手だけじゃなく周囲全体を思いやるグリッタが「最後までキラキラしてた」って言われてるところからすると、
「他人を想う気持ち=キラキラ」って解釈は可能かな、と。
で、その伝で行くなら、キラキラに焦がれつつもそれを手に入れられず、グリッタちゃんには「自分のキラキラじゃなきゃ駄目なのよー」みたいな事も言われちゃってるゼッドってのは、
「優しくされたい/愛しされたいのに、自分からは他人に優しくできない/愛し方が分からない」っていう、
どっか情緒的に足踏みしてる奴みたいなもんだと思えばいいのかなー、と。なんかたまに「だだ捏ねてる利かん坊の子供」みたいに見えてたしね。
だけど、っつーか、だからっつーか、ゼッドって、キラキラには大層御執心だけど、闇の拡大にはさほど熱心には見えないこともあって、
なんか憎めない、というよりは哀れみを感じさせる敵ではあったなあ、と。
「愛し方がわからずに孤立していく」あたりはゴーバスのエンターにも通じる気がするので、小林脚本の悪役に多い傾向かも知れんが
(あっ、敵であるレッドにもやたら執着するあたりも共通かも)、
エスケイプを(自業自得とはいえ)失って一人きりになり、バスターズに倒されて消滅してしまうエンターに比べると、
あんだけ酷い目に合わせた(思い人も母親も殺して本人も、っていう)グリッタちゃんに、それでも側に居てもらえる陛下はむしろ果報者なのかも知れない。
というか、グリッタちゃんを殺せなかったってあたり、実は陛下の瞳もちょっとだけ光り始めてたんだったりしてなー
闇の世界で末長く爆発しやがれ、ってオチなのかもしれないなあ、と。グリッタちゃんがなんでそこまでされても優しさを失わないのか、ってあたりは若干(いい意味ではなく)気にならないでもないけど。
(しかしこの解釈だと、「ライトってほんとに最初っからそんなに光ってたの?レッド補正?」って疑問が沸かなくもなゲフンゲフンゲフン……)
