「共産党は小林多喜二を政治利用するな」の一件について、どういう経緯なのか大体のことは把握できた(と思う)。
なんつーかなー、「女がイケメン好きを大っぴらに公言すると、他の面でどうあろうがとりあえず叩かれやすくなる」みたいなことと、「自分をコンテンツとして扱われる事に慣れ切ってしまった人間は、他者をコンテンツとして扱うことに疑問も躊躇も遠慮もなくなってくる」みたいなことの悪魔合体なんだろうか、みたいな気がする。
ゲームの中のキャラクターであるところの"多喜二"だけを好きでいても別に悪くはなかろうよ、とは思うけど、自分が"多喜二"を(あるいはゲーム中の他の文豪キャラを)愛でることをあれこれ言われたくないからといって、"多喜二"のモデルである"小林多喜二"と"多喜二"を切り離して考えろと他者に要求すんのは無理筋だろう、と。
あと、多喜二と対極の立場の作家として、三島由紀夫がやたらと名前を挙げられていますが、三島については「思想は置いといて、三島の作品や文体は素晴らしいよね」的な声を割と耳にする気がするのですが(一応国文科卒・近代国文学専攻の俺の観測範囲でね)、
多喜二に関しては同じような話を今まであんまり聞かなかった気がして、その非対象性はちょっと気になるところです。
「究極のファッション右翼」と「命も惜しまぬガチ左翼」の違いなんだろうか……
多喜二の小説、「蟹工船」と「党生活者」の文庫本一冊しか読んでませんが、意外にも(?)割と読みやすくて面白かったし、リズムのある硬質で乾いた文体も悪くないと思うんですがね。エッセイとかだとどうなのかな?
