選手個人の「自分のスケートはこういうところで魅せたい」というこだわりは大歓迎だけど、それをフィギュアスケート一般まで拡張して当てはめられてしまうと、ましてや「観客の望みはこれ」と言われてしまうと、いやそれを決めるのは観る側の領分だからあんまり侵犯しないでくれと思ってしまう。
「観客はこういう演技を求めている」「フィギュアスケーターたるものこうあるべき」とは、たとえ相手が選手であってもあまり狭小に定義しないでほしい。「観客あってのフィギュアスケート」を標榜するならばなおさら。
観客が望むものというのは、演じ手が考えるよりずっと柔軟で多彩です。観客ったって星の数ほどいるわけだからさ、好みのツボだってそれぞれ違うわけでさ。
とりのすのことを語る
