元ロックミュージシャンとゴーストライターの件について、音楽業界の人が書いている文章をいくつか読んで、それはそれで非常に興味深かったし、現代音楽畑の人とクラシック畑の人が同じ問題を論じて、違う方向から概ね同じところに着地しているという現象を観測できたりしたのも読者的に面白い体験ではあった。
どの角度から見ても、今日的な問題が浮き彫りにされるところがあって、単純にどっちが善でどっちが悪とか(しかし元ロックミュージシャンの所業の中にはなんらかの罪に問われる可能性のあるものもありそうなので、そうなればそこはきちんとされるべきではある)全部悪とかしないで顛末を見ていきたい問題だと思う。
だけれども。
基本的には元ロックミュージシャンとゴーストライターと、文春の報じるところによると、曲を捧げられた少女とその家族の間の問題ではないのかと。
競技で曲を使用するからといって、スケーターやその周囲のスタッフは第三者じゃないか。
いくら「オリンピックで使用される事になったのが、事実を明かそうと思ったきっかけ」といっても、何故公表の時期を、第三者である選手の、長年の目標であった大事な舞台、人生の大事な局面にぶつけるのか。
もっと前がよかったのかとか、後だったらいいのかとか、そういう問題じゃない。
スキャンダルの演出に第三者の人生を利用するなって事。
