実は今日また『フランケンシュタイン』を観てきた。『時計じかけのオレンジ』を観たのは実は昨日だった。
主役を二人の役者が交互に演じているから見に行く回数がかさんじゃうのよねー。あこぎだわー。でも気に入っちゃったから抗えないのよねー。
何度か観ると、当初よりもベネディクトの怪物の方にも子供をやっている感を感じた。
フランケンシュタインに対する呼び方が「master(ご主人様)」だったり「Frankenstein!」だったり「scientist」だったり「genius」だったりするんだけど、呼び方を変える度に役割をあてたごっこ遊びをしているみたいに見えた。
だけど精神は子供でも知能は成熟していて、体格も大人かそれ以上で、身体能力についてはおそらく超人的な腕力とか持久力があるので、そうした身体的特徴と子供っぽい行動があまりにも調和しない、その調和しなさの具合が好きなんだな、ベネディクトの怪物に関して、と改めて思った。
何処かの場面では、立っている姿だけで「こいつはたから見たら人間じゃない何かなのに、本人の中では自分は人間であるという確信があるんだな」と感じる瞬間があって、その立ち姿だけでにじみ出る不調和っぷりに心打たれたね。
自分が大昔に原作を読んだときになかったエピソードがあったり、原作とキャラクターのイメージが違うって事については、原作の大部分が博士の語りで構成されているけど、フランケンシュタイン博士は「信用のできない語り手」である、という観た人の解釈を読んで、すとんと納得がいった。まあ婚約者の死の場面については、あれは普通にあったとしてもおかしくない事よねー。
他に博士について、身体的にか精神的にかはともかく、不能である事が示唆されていて、それ(普通のやり方では子供を作れない)が怪物を作るという行為の無自覚の動機になっている可能性があるって指摘もあって、特にベネディクトの博士にはそこが色濃く出ていると言われていて、改めて観たらそこもすんなり納得いってしまった。そこは正直、観ていてひっかかりを感じながらも自力で気付けなかったのが悔しかったw
割とどうでもいい事として、カーテンコールでお辞儀する際、ベネディクトas博士のときは着ていたコードのフードがお辞儀のたびにアタマにぼふっと被さったり、顔を上げると中途半端に脱げたりという非常にかわいい状況になっていた一方、ジョニー・リー・ミラーas博士の際はフードが被さってくる事がなかったのは何故なのかが気になった。ベネディクトの方がなで肩だから・・・?
