【読了】
『ヴェローナのニ紳士』
まさかイギリス人俳優ではなく西川ちゃんを動機付けにしてシェイクスピアを読むことがあろうとは。
12月に西川ちゃんがこのシェイクスピア劇を原作とした宮本亜門演出のミュージカルに出演するという事で、この本に手を伸ばしたのですよ。
西川貴教&堂珍嘉邦で舞台『ヴェローナの二紳士』
というわけで、本編および解説まで読み終えた私の心境を少し書きじゃくりますよ。
内容はまあいいんです。西川ちゃんの役どころは、調子はいいが薄情で恥知らずなクズ野郎ですねー。まあ合うんじゃないでしょうか。堂本兄弟仲間の武田真治はお金はあるけど誰からもバカでつまらない男と呼ばれる小物で、堂珍さんは誠実で寛大ないい男の役。
で、内容よりも解説がですね。後半殆どこの戯曲の不人気ぶりと批評における酷評ぶりに費やされていたのですよ。
上演史の項目が、20世紀はシェイクスピア劇の再評価の時代であるとはじまり、それまでのいくつかの不人気作が相次いで見直されたと。で、その後
その恩恵にほとんど浴する機会のなかった唯一の不幸な劇が『ヴェローナのニ紳士』なのかもしれない
と続くのですよ…さらに追い打ちのように
現在までの数少ない上演の歴史は、そのまま「みじめな公演の記録」の積み重ねといわざるをえないものだった。
………。
批評史の項目の書き出しも奮っています。
十八世紀の批評家J・アプトンは、この劇がシェイクスピアのものでない証拠さえあったら、ただちに荷造りして、どこかにいる親許へ送り返したいという意味の有名な言葉を吐いている。
すごい…さらに読み続けると
一方、それを引きながら同時代の大御所ジョンスン博士は、しかし残念ながら、ここには他のどんな劇におけるよりもはっきりとシェイクスピアの手を示す「印(グノーマイ)」が認められる、しかもそれが、不人気だったゆえに損なわれない形で残っているようだ、と愚痴をこぼしている。
そ…そうですか。
勿論これは最も刺激的な部分を抜粋しているわけですから、ミュージカルを待つ身としては朗報もありましたよ。1921年のミュージカル版は結構人気が高かったそうです!(ちなみに今度の舞台の本家らしいミュージカルについては「70年代はじめにも試みられてはいる」という程度の触れられ方でした)そのミュージカルの公演の成功についてはこんな風に語られていました。
皮肉な話しながら、本来の劇の精神からもっとも遠いミュージカル版が、この劇の上演史上、あるいはもっとも歓迎されたものといえるかもしれない。
