id:emuzou は
穴の塞がったえむぞうのことを語る

セクハラの基準に「当人がそう思ったらセクハラ」っていうのがあるのが、はじめて聞いたとき意味が分からなかった。
でも今回の件でちょっと考えて、なんとなく規則の話と思ってたけど人権の話と考えたら納得できた。この今更感が我ながら恥ずかしいのだけど。

相手が自分より上の立場であろうと、どう触られたら不快か、見た目やジェンダーに関わることについてどんな事を言われたら嫌か、その線引きをする権利は当人にありますよって話なんだと。そしてそれは当然尊重されて然るべきだし、不快感を表明することで社会的な立場が脅かされるような事があってはいけない。
でも現実問題そのようになっていないから、セクハラとかパワハラという言葉で定義して、こういうのはいけませんってガイドラインを作っているんだよね。

セクハラやパワハラの被害に遭っていると感じた人がいたとして、その人が何らかの形でそれを主張しようとした場合、やはりその行動によって自分の立場が脅かされたりはしないという安心できる、被害者が保護される仕組みは必要。場合によっては、告発したとしてその内容のみ取り上げられて被害者の名前や職業などは秘密にしておく必要もあるかもしれない。

でも例の記事は、当人がどう思っているかの確認もしない(したら記事書けなかっただろうけど)で、一方的に「あの人は加害者であの人は被害者」って指定して大々的に騒ぎ立てたんだよね。
「加害者」と言われた人はもちろん批判に晒されて社会的な立場も危うくしているけど(そしてあの記事の目的はそれでしょう)、「被害者」とされた人についてはどうか。
記者会見で本人が言ったとおり、セクハラ被害に遭ったと自分が思っていなかったら、騒がれて記者会見で話をしなければならなくなって、いい迷惑でしょう。
もし内心では被害感情を持っていた場合、あの記事で救われるか?被害感情を持っていながらそれを表明できない時って、何かしらの混乱状態にあったり、自分の立場が脅かされるから言えないっていう場合じゃないのかな。そういうときに外から「あのひとは「被害者」」と名指しされる状況ってどうだ。私は想像すると怖い。心の準備も周囲の状況も何も整っていない状況で、自分の被害感情について話せと要求される事が「被害者」にとって何の得になるのか。それによって余計に傷つくのを二次被害(セカンドアビューズ)って言うんだ。
被害感情を持っている人がいて、それを公に告発しようとなったら、サポートする人は本人の心の準備ができるまで待つ事と当事者が事を公にすることで蒙る被害を最小限にしようと尽力するべきで、勝手に「あの人はセクハラ被害者」って指さすことは絶対やっちゃいけない。
あの記事はハラスメントを扱うにしては「加害者」のみでなく「被害者」の人権を全く眼中に入れていない。あの記事自体が、セカンドが上に付くかどうかは分からないけど書かれている対象にとってアビューズなんだよ。だから私はあの記事に基いての会長批判をする気にはなれなかった。ああいう報道のやり方自体があっちゃいけないと思っている。

「被害者」とされる人が記者会見でセクハラについて否定して謝罪したけど、それについて、記者会見の前から「セクハラと思ってないとか平気とか言ってほしくない」とか、記者会見後は「ああいう事は言うべきじゃなかった」って言っている人を見たけど、誰がどの程度まで自分に接触するのを許すかという線引きをするのは本人の権利であって、他人が理解できないからといって批判する事ではないし、自分の気に入らない見解を言ったからって当事者を批判するに至っては、当人はあなたの意見を代弁してくれる都合のいいお人形じゃないんだよと思う。そういう人は、あの記事を書いた側と同じくらい当人の人権を踏みつけにしていると思う。「被害者」と祀り上げて思う通りにいかないと批判している。

あと仮に、あくまでも仮定だけど、数年後に当事者が「あのときはやっぱり嫌だった」と言う事がもしもあったとしても、それは時間がたって言えるようになったというだけで、それだって批判される事にはならない。
ハラスメント行為に対する批判は、当事者、特に被害者の気持ちなしには出来ないもので、いつ、どういう形でそれを表明するのかしないのか、更にもっと前段階で自分を「被害者」と定義するかどうかも当事者が決めるしかない事。
そこがすっぽ抜けてるからあの記事おかしい。