読了
『マンスフィールド・パーク』
まずごく素朴に人間観察力と描写力に感服した。
何か古い翻訳なのか、使われる漢字が今風じゃない。「いけない」が「不可ない」とか「返事」が「返辞」とか「意向」が「意嚮」とか。でもそもそも私が翻訳本を読み始めた頃は結構こういうの多かったよなという懐かしさと、日常とちょっと段差がある感じが却って本に入り込めてよかった。
でも一体いつの刊行なんだろうと奥付を見たら1998年10月…あれっ。もうラルクあるしドラムもゆっきーに既になってる頃じゃん。最近じゃね?(1990年代後半の時代感覚はほとんどラルクに関連付けられている)
最近何かの解説の引用でファニーとエドマンドは上流意識の強い嫌な奴みたいなのを見たのだけど、ああ分かるwって感じだった。私がそう思うというわけでなく、そういう見方もされる事あるかもっていう。
元々英語のラジオドラマを聞く際に内容を理解できるようにと思って先に粗筋をざっくり調べていたけど、そのときに受けた印象よりエドマンドのファニーへの溺愛ぶりが強かったwエドマンドは脳内でベネディクトさんにしていたので(ラジオドラマでエドマンド役だった)その辺非常に効果的(何が)で楽しかったw
ノリス夫人のファニーに対する態度が結構自分に対する父親のそれと似てたんだけど、書き方が巧いのか胸がチクチクすることもなく何故かノリス夫人の描写が笑えてくるw
1810年前後の話となると『ダウントン・アビー』の第一話から100年くらい時代が遡る、ということはその時点で70歳のヴァイオレット様の祖父母くらいの世代の話って事になるのかな。
ミス・クロフォードが駆け落ち騒動を起こした当事者について「結婚させればよろし」「それで地位のある実家のバックアップがあれば社交界に復帰できるでしょ」って話をして「それにこう云うことに関しては皆さん以前よりもずっと寛大で、大まかになっていることも確かですもの」って言ってて、なるほど、その時代から30年後に生まれたヴァイオレット様が20世紀初頭に「誰だって秘密を必死に隠して結婚にこぎつけるものよ」って言うんだなってw
19世紀初頭の『マンスフィールド・パーク』ではミス・クロフォードの意見は却下されて、却下した側の価値観が正しいって事で物語的にもそっちの筋が通って終わるけど『ダウントン・アビー』ではその時代の価値観を正しく受け継いでいるようなグランサム伯の筋が必ずしも通るわけではなさそう。更にダウントンと同時代の『パレーズ・エンド』は、そうした価値観や社会規範が終わって、そこにがんじがらめだった主人公が解放されるのがテーマなんだよね多分。
『パレーズ・エンド』の主人公のクリストファーは、すぐ後に密かな崇拝の対象となる女性に「時代遅れの典型的な田舎貴族、博物館がお似合い」とか言われるし、本人も「世界は19世紀に終わってる」とか「20世紀より19世紀を選ぶ」とか言ってたな。彼が大事にしていた19世紀の世界ってのはこんな感じなんだなと。ジェイン・オースティンとグランサム伯とクリストファーは気が合いそう(まあクリッシーちゃん出来婚なんですけど)。
