id:emuzou
穴の塞がったえむぞうのことを語る

しかしやっぱり会話劇だなーとしみじみ思ったのでした。

そしてポローニアス殺害によりハムレットが逮捕される前、セット全体を駆け回る追いかけっこが展開されるんだけど、そこで改めて舞台の広さを感じて、えっ、会話劇でこんなに舞台広くていいの…?って思ったのでした。
少し前に『スカイライト』を見ていて、あれも会話劇で、限定された舞台設定でセットも結構コンパクトな中で、緊張感の漂うやりとりが面白かったのだけど、この『ハムレット』は、会話劇ならではの緊張感がときどきセットのでかさに埋もれちゃってるようなところがあったかなと思わなくもない。
私は、見たときははっきり書かなかったけど、トムヒさんの『コリオレイナス』はいまいちだった。それは何故かと考えると、ひとつは、現代風の衣装を着ているのに剣を持って戦っているというのにどうにも慣れなかったことと、戦場の場面や裁判といった、割と広い場所で行われるような場面が多いのに、ステージがすごく狭くて、そこを演出で色々工夫しているのが見どころではあるのだけど、どうしても『コリオレイナス』にこの小さい劇場(元はバナナ倉庫だったという劇場。狭い。ステージ小さい。客席最前列とステージの床の高さが同じ)は合わないんじゃないかという気持ちが払拭できなかったから。なんかその時の違和感を今回の『ハムレット』見てちょっと思い出した。(しかしこうして考えると『コリオレイナス』が近年あまり上演されてなくて『ハムレット』がずっと繰り返し上演される理由が分かるような。『ハムレット』はアレンジしやすいけど『コリオレイナス』はそうでもないんだな)

しかし今ベネディクトさんが舞台を、しかもハムレットをやるとなると、そりゃそれなり以上のキャパシティが必要だろうし、期間も長かったわけで、そういう条件を満たす会場となると選択肢が限られたのかなと思ったり。ちょっと大げさかもと我ながら思うけど、超売れっ子故の不自由さなのかなこれって、と思ったりもした。まあそうなると、私もその不自由さを作っている一人なんだけど。

しかし今ふと『コリオレイナス』は、劇場の特性を利用して、裁判のシーンなんかは客席も傍聴席に見立てるような趣向だったのかなと思い立った。そうだとすると、それは映像では多分伝わりにくいし、劇場で見るのと映像で見るのと大きく印象は変わるだろうなと。
『ハムレット』は冒頭、ハムレットが部屋で一人でレコードをかけながら亡き父を想う場面があって、その場面が壁の色とか塗りの質感が凝っていて、絵画のように美しかったのだけど、それは劇場ではどれくらいの人に伝わったのかな。最初から映画館でのライブ上映が決まっていた事もあって、映像化を想定して舞台を作っているという部分も多々あるのだろうな。