ポイントは、心的外傷ではなく、物語。大きな物語ではなく、自分の傷にまつわる小さな物語が、特定のヒトやモノやコトとのつながりを感じさせ、私たちをささえてくれる。トラウマにかぎらず、物語は、小さな幸せの技術なのだ。
(中略)
人生の重荷にうんざりし、単純なことを夢見るようになったとき、ほしくてたまらなくなる人生の法則がある。物語の秩序という法則だ。圧倒的に複雑な自分の人生を、「これが起きた後に、あれが起きた」という単純な物語の意図に通して再生すれば、心が落ち着く。「おれは家の主人だ」と感じさせてくれる何かが、無意識のうちに生まれてきて、お腹にお日さまを当てたみたいに安心できる。
たいていの人は、基本的には自分自身にたいして物語作者なのだ。事実が秩序ただしく並んでいることを好む。自分の人生にはひとつの「道筋」があるのだと思うことで、現実が複雑で混沌としていても、なんとか安全だと感じるわけだ。
こんなふうに考えてきて、ウルリヒは気づく。「私には、こういう素朴な物語がなくなってしまった」
(中略)
トラウマの物語にかぎらない。なにかを物語に回収することによって、それ以外の大切なものが見過ごされたり、捨てられたりするのではないか。精確な認識を大切だと考えていたムージルが、「物語ることにたいする吐き気」を感じるのは当然だ。私は実生活で、話のうまい人をあまり信用しないことにしている。(丘沢静也『寄宿生テルレスの混乱』解説 pp.332-334)
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