(続き)
映画をよく見るようになってから、昔以上にホラーもどんどん平気になっていき。
・映画的残虐描写に慣れたのは、サスペンス映画を多く見たせいだと思う→近年のサスペンス映画(特に欧米作品)は、目新しさや話題性のために、ホラー映画を凌駕するほどのショック描写・残虐描写が出てくる場合がある。
・それらは年々エスカレートの傾向にあり、映画を見る本数が多ければ、それだけ多くのパターンを見ることになるので、良くも悪くも、少々のことでは驚かなくなる。
・パターンを多く知ると、そのような描写が出てくる度、表現の傾向によって系統ごとに分けて考えてみたり、というふうに映画的分析の対象となっていくので、あんまり怖くなくなる。
ホラーに限らず、映画そのものの見方というのも関わってくる。
・ホラー以外の映画で、監督の演出に注目したり、俳優の演技に注目したり、心理描写やストーリー展開や語り口を味わったりするのと同じく、ホラー映画もそういう見方をするようになる。
・具体的に言うと、映像的に楽しむならゾンビやホラーコメディ、恐怖心の描き方等の心理描写及び俳優による恐怖の表現に注目するなら悪霊ものや悪魔祓い系、などといった具合。
・ホラー以外の映画で、好きな監督の作品を見たいとか好きな俳優の出てる作品を見たいとかいう、それと同じ感覚で、ホラーも見ている。
・つまり、恐怖も、映画を構成する単なる一要素であり、ホラーは数あるジャンルの中のひとつ、恋愛映画が好きだとかコメディが好きだとかいうことと変わらない、という捉え方になる。
あとは、状況。
・ホラー映画は、タイトルやポスターデザインなどによって、“これはホラーである” ということが、ほかのジャンル以上にわかりやすい。
・つまり、ホラー映画だと知らずに見に行って、いざ見てみたらホラーだった だまされた、などということがまずあり得ない。ホラーだということを当然わかった上で見に行くので、そこでは “怖い” という状態そのものが当たり前になる、という意味で、あまり怖く感じない(なので、同じような描写であっても、そういうのが出てきて当然と思ってホラーを見ている時より、まさかそこまでいかないと思っていたサスペンスでそういうのが出てきた時の方が より驚く、という場合がある)。
パッと思いつくのはこういう感じ。