時間・労力・費用なんでもいいけど、「自分でできなくはない程度の面倒ごと」について。
「他人にやってもらおうと仕向ける」こと、もしくは「無意識に当然他の誰かがやってくれるものと安心している」状態、
それらに対して、良くも悪くも、自分も周りも、年々厳しくなってくるね。
…昨年とある件で、なーんかいいように使う気マンマンだけどこの人はそれが相手(私)にとって、
「いいよいいよ!やっとくやっとく~♪」と当然(むしろ称賛をともなって)返事をもらえるような、
取るに足らないことだと思ってるなあ、と感じることがあって(後日、人づてにそれがビンゴだったと知る)
「NO」を表明する過程で、軽く揉めるほどではないけど「ザ・澱(ダイソーかよ)」な思い出の一つに加わった。
その一件で私は心の狭い嫌な人間と認識された可能性が高いけど、後悔はしてない。
確かにその「頼みごと」、私にできないことではなかったし、大した負担というほどではないけど
例えるなら私が誰かのお祝いにこしらえたスポンジケーキに、
誕生日の直前になって「これにいちごババロアを重ねようよ!いいアイデアっしょ?ただし材料費は全額よろしく☆」
と提案されたような気分だったんだ…。
一言「ハァ!?」で済む話を長々とすみません。
そうは言っても自分だって何年も前に、マメで親切な友人に飲み会の予約とか頼っちゃって窘められた事がある。
以来、自分ができそうなことはやるし、あるいは自分で提案したことに伴う面倒に他の人を巻き込まないようにしなくては、
という心掛けだけは持つようになったと思う。
ただ打算というか卑怯な部分はずっと残っていて、
面倒Aと面倒Bが目先にあるとき、(通常どっちもやらないで済むのがベストだけど)
自分のテリトリーでうまくこなせそうな面倒Aを早々に引き受け、結果、面倒Bを他の誰かがやることになったとしても
後ろ指を指されずに済むようにすること、結構ある。
頻繁なところでは、今のところタスクは面倒Aしかないけど、今後苦手な面倒Bが発生したときに逃げられるよう
面倒Aは自分で片付けよう、とか。
人によって面倒と感じるポイントが時間だったり、体力だったり複雑なことを考えることだったりするけど
腰が重いのを自覚しているのは新鮮なコミュニケーションを強いられることで。強いられなければいいんだけどな。