「動機の解明が求められる」とニュースでは再三言うが、殺人の動機など怒りか悲しみか喜びかに決まってると思う。
それらから義務感が生まれたりするし(今回はそのケースだろう)、身体的精神的危機からそれらが生まれる場合もある。
実に多くの人が怒り悲しみ、時には加虐に喜びを覚えたりもするが、「ぶっ殺してやる」と思うまでに至らないか、至っても押し殺しているのだ。
解明すべきは「なぜ我々社会は彼の怒り(悲しみ喜び)の感情が肥大化していくのを止められなかったのか、どうすればよかったのか」と言う点だ。
その一部はメディアの仕事ではないだろうが。