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差別する自由のことを語る

考えるに「区別」と「差別」の間に線引きはない。
やってる方は「区別」のつもり。
「区別」の中で、その差異に基づくことが理不尽な差異に基づいていたり、代替ルートの用意されていない「区別」を「差別」と呼ぶのではないか。
例えば、「横断歩道を歩いて渡るのに10分かかる人達がいる」とする(実際いる)、「その人達のために信号機は切り替わるのに10分掛けるべき」か。
考えるまでもなくそれは難しい。
この「区別」は車椅子を押す介護者とか、電動カーとか、むしろ車道を行けるようにするタクシーとかの「代替ルート」の存在によって「差別」となることを免れている。
逆にそういう「代替ルート」のない「横断歩道」と言うものも考えてみよう。足の不自由な人達にとって恐ろしく差別的な場所へと変わるはずだ。
 
「区別」と「差別」はつながっている。「区別」の中に「差別」が含まれる、と言うべきか。
そういう意味で「区別」もまた自由ではない。
基づく差異が理不尽ではないか、代替ルートがしっかりあるか、随時検証を行う必要があるだろう。