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差別する自由のことを語る

いえ、十分です。完璧ではありませんが十分です。
例えば、あなたが道を歩いていて右から悲鳴が聞こえて視線を向けるとしましょう。
あなたはその時、常に歩みを止めますか?止めなければ視界から外れた左から来る人とぶつかる確率が上がるし、足下の蟻を踏みつぶす確率も上がる。
止めますか?では後ろから歩いてきた人があなたにぶつかる可能性がある。
100%を求めるとはそういうことで、それは「不可能です」、それは「何もできない」と言うに等しい。みんな「数十%」で行動してるのです、私も、あなたも。

そして今回の議題に関して言えば、一点重要な条件を見逃しています。
何%か(いやおそらく1%未満の)リスクを恐れて論述しなければ90%以上の確率で「ある差別論が見逃される」点です。

多くの人が100%ではない確証で行動し論述します。そこは重要な問題点ではありません。
何かをすれば何かが損なわれる。それは当然です。求めるべきは100%ではない、なぜならそれは不可能だから。
「何が生まれて何が損なわれているか(およびその可能性と効率)」の問題です。