自分のうっかりミスに気づいたとき、歌詞の内容とは関係なく竹内まりやのシングルのタイトル「戻っておいで・私の時間」が頭をよぎります。
そしていつもタイトルが頭をよぎるだけなので、この曲のことを調べてみました。
公式ページによると「1974年3月に慶応大に入学」。その後はWikipediaによると「1978年11月25日にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム 『BEGINNING』でデビュー。大学では英文科に進んだが、厳しいことで有名な唐須教光のゼミと音楽活動の両立ができなくなり中退。のち、1979年 のシングル「SEPTEMBER」で日本レコード大賞新人賞を獲得、1980年のシングル「不思議なピーチパイ」などがヒットする。」(抜粋)とある。
翻っ て指導教官の唐須教授のWikiデータでは「77年広島大学総合科学部専任講師。78年助教授。80年慶應義塾大学文学部助教授。」とある。1974年の 入学だとすると「休学してなければ」1980年の唐須教授の慶大赴任時には入学して7年目ということになる。「休学していなければ」あと2年しか残ってな かったわけだから、「唐須教授のゼミが厳しくて両立が難しかった」というのは頷けるけれども、ゼミ配属前にすでに大学生活が6年経過しているわけだからゼ ミだけの問題ではないのではないか。逆にそれまでに休学期間があったのならその分卒業にリーチがかかるのは伸びるから(8年以内に卒業できなければ退学という条件には(少なくとも現在は)休学期間は含まれない)、数年かけて卒論ということもできたのではないか。
もちろん慶大赴任前の広島大在籍中に指導教員という立場になっていたのであれば話は違ってきますけれども。
本題とは別の箇所にはまってしまいましたが、聴きましょう、「戻っておいで・私の時間」
ReCAPTCHAも出たことですので、クレイジーキャット「悲しきわがこころ」も貼っておこう。
珈琲を買って明日からに備えます。いってきます
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