Taverneという言葉をタベルネとカタカナにしたりするようですが、「食べんね」について。菅原文太の広島言葉まで遠くはないけれど、身近な言葉だと思ってもたまにニュアンスが取れないことがありますよね。
「うちの妻ってどうでしょう?」で作者が妻の実家を訪問してあたり。義父が牡蠣をご馳走してくれて牡蠣を焼くと「食べんね」と勧めてくれる。「食べんね」というと「食べなさい」(遊んで給食を食べない児童に)という比較的強い命令から、「食べない?」とやさしく勧める感じまであって、これも文字だとなかなか難しいよなあと思いました。
九州とはいえ私の実家とそう近いわけでもないので「食べんね」のニュアンスが取れているか自信がなくって、妙に怖い感じを受けてしまった。(文脈からは、顔の表情には出てなくても好意的に歓待している)。
知らんがナのことを語る